2020年11月27日金曜日

たくさん歩いた一日であった

 この日記は金曜日に更新される予定です。





今日は11月27日で年末までは34日ある。

1959年にオムロン、近畿日本鉄道、阪急電鉄、大阪大学がアメリカ電気電子学会の「マイルストーン賞」を受賞。1971年にソ連の火星探査機「マルス2号」が火星に到達。1998年に多摩モノレール線立川北駅〜上北台駅間が開業。セガがドリームキャストを発売。2018年NASAの火星探査機インサイトが火星に着陸。

1894年に松下幸之助さん、1942年ジミ・ヘンドリクスさん、1958年に小室哲哉さん、1973年浅野忠雄さん、片桐仁さんらの誕生日。

更生保護記念日であり、良い鮒の日、ノーベル賞制定記念日でもある。


最近この日記を書いていたら読んでくれる人がいて『面白くないよね?』と聞いたら『面白くはないし何ならつまらん』と言われたのもあり、当分面白い話題が見つかるまではこのままやろうと思いました。

長く生きていると話して良いことと悪い事の境目がわからなくなるので、結局あんまりわからないように輪郭をぼかすと何を言っているのかが全くわからないことになる。

ポロッと言ったりすることもあるけど、随分と嘘みたいな毎日を送るようになってしまったものだなぁ、と。

高校生の自分に聞かせたら普通に『嘘だっ!』っていうだろうな。結構なんだかんだ楽しいし変わらないよ、君(僕)は。


あと、さっぱり文章がうまくならないことも加えて教えてあげたい。

『あー、知ってたわー』ってなるのか『頑張ってみるわー』となるのか、少しは気になる。多分前者だとはおもう。


全然話は変わるのだけれども、一人でいることは好きだ。人といることも好きだ。

人を頼っていることが好きだ。頼られていると少しドキドキするけれども、なんとかしっかり役目をこなそうと思うので、多分嫌いではない。

けれどもそのように改めて感じたのは最近結構なんだかんだ頼ってもらっていたからなのではないか、と思った。

結構色んな方から、これはどうだろう?あれはどうだろう?という質問をいただく。ありがたいことだ。

僕は一つずつ結構実は色々考えて、それはそうだという同意と、それはきっとこのようにもできるのではないだろうか。みたいな提案を繰り返している。

わからないことはわからないといい、教えてもらうこともある。これもありがたいことで、どれだけ生きていても世の中は知らないことばかりだから。

だけど知ったところで実践することなんて殆どないから、知ったふうなところでどうしても止まってしまう。

自分がやらなくても誰かがやってくれる世界だからだ。


自分が楽しそうだなと思ったことは、本当は自分で体験してみないとわからないと思っている。

それがどれほどに難しく危険であるのか、ということは自身の体験でしかほんとうの意味での理解はできないのではないだろうか。

僕は動画視聴をして驚いている舌の市区もあるけれども、それは誰かの驚きや楽しみをトレースできているだけで本物じゃない可能性もある。

なぜかというと至ってシンプルで、それで自分が肉体的に傷ついたりすることはないからだ。


そう思うのは最近科学系のコミュニティに属して実際にお手伝いをさせてもらうときに、明らかに自分が触れたことのないような装置や薬品と向き合うときにスリルがある。

高校のときにろくに化学なんてやってこなかったし電気や物理にしてもほとんどが座学だった。

美大を卒業したあとで一番やっておけばよかったな、ということはアーク溶接だったりする。

なんだかんだとファインアートは怪我をする。舞台をやっていたときは照明卓で感電した。

小学校のときはたくさん手を怪我したし、随分痛い思いもした。包丁は何度となく指を切ったし、今でも切る。

なのでやったことがないことが今更ながらできるのはシンプルに嬉しい。

できるようになろうとはもう思っていないけれども、最低限人が困らないだけの振る舞いを覚えたい。


世の中を生きていると本当に嫌になることがたくさんあって、例えば銀行の残高なんかはどうしたって減っていく。

どうしたものかな、と思ったってどうしようもない。そういう生き方を今は選んでしまったと言うだけだし、では減らないようにすることが改善か?と言われたらきっとそんなことはなく、いつかきっとそんなもので困らないようになるように自立できる日を作れる自分になっているだろう。

だからその時に自分が不足のない人間であることを目的として毎日を無知で過ごしていくことしかできない。

疑問を発見し、知ることでいつまでも喜べる人間でありたい。


おそらくそのようにしていくつになっても無知であることを別に恥ではないなと思っていることが、随分と自分を幼く見えさせている要因のひとつなのだろう。

本当はもっと背伸びというか振る舞いを年齢に合わせるほうが良いのだろう。

今日は女子大生から年下と間違えられるという38歳なわけだが、笑うけれども別にそれは自分対してであって、どうやって逆さになってももう二度と絶対的に10代にはなれない。

相対評価として10代だという可能性は残されている。


火星の項目が2つもあるので、火星についてもっと知りたいなと思ったりする。

火星とはやっぱり寒いのだろうか。大気があれば、実は全然暖かく過ごせるのだろうか。

やっぱりタコみたいな宇宙人がいるのだろうか。あのイメージとなった元ネタをどこかで読んだはずだけど、忘れてしまった。

あのビジュアルだと、随分水が豊かなんだろうな、と想像している。


火星のことなんてきっと何もわからないままに僕は死んでゆくのだろう。

すこしだけさびしいと思った。


2020年11月20日金曜日

最近は少し暖かい毎日

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今日は11/20は年末まであと41日。

1947年に任天堂が設立。1948年に小倉競輪場で日本で初めての競輪が開催。1985年にマイクロソフトがwindows1.0を発売。1998年に国際宇宙ステーションの最初のモジュールが打ち上げられる。

1942年にジョーバイデン誕生。1965年にYOSHIKI爆誕。1980年に小池栄子さん巨誕。沢山の誕生された方がいます。

世界こどもの日であり、えびす講、毛皮の日であり、ピザの日でもある。山梨県民の日でもあるそう。


今日ピザを食べました。ピザの日ということは知りませんでした。

先日誕生日を迎えまして、無事に38歳になることができましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?年を取るたびになんだか感傷的になっていたのですが、今年は何もありませんでした。何もないというのも変ですけど、なんというか、何も特別感はないというか、区切り感がないというか。そういう感じです。

しかし間違いなく、若いころとは違う接され方をされ始めているので、人生というものが変化しているのだな、ということをひしひしと感じています。

左右を見ても若くてメリットのあることがとても多くある半面、まだなんか全然一人前に自分が思えないのだよなという思いが強くあり、そういう意味ではゆるゆる成長するのだと思います。


今年のボジョレーをようやく昨日の夜に一口飲みまして、まぁ、そんなに驚くべきほどうまいものではないのだが、なんかこっちのほうが区切りとしてはいいな、と考えています。

年間の区切りでいえば、お正月、バレンタイン、ホワイトデー、エイプリルフール、GW、SW、誕生日(11/17)、クリスマス、という脳の作りになっております。

しかし全部にイベントがあるのか?といわれるとないし、あってもなくてもいいなと。


気が付いたけど、ここ数年ちゃんとデートっぽいものをしてないなと。

ドキドキしてないし、胸がきゅんとなることもなく、ぼんやりと『ハイボール一つ―!』と言っているような気がする。

そもそもデートする相手が減ってしまったような気がしていて、シンプルに残念だなぁ、などと思っているわけです。

きっと恵比寿ではバカラのシャンデリアかな?あれをやっているのだろうし、街は電飾がともり始めているのだろう。

寒い中で温かいご飯を食べながらほっこり過ごす時間というのがさっぱり持てなくなってしまったなと。


もうずいぶん長い時間、クリスマスを世の中的なクリスマスらしい時間を過ごすことはないなと思い返すと感慨深い。

かといっても今年も何の予定もないので、きっと何らかの仕事について考え、もしくはどこであるのかわからない納会に飛び込み参加したりしてるかもしれません。

でも今年はもう世の中として忘年会すらできないだろうし、納会もないだろうし。ちょっとさすがに寂しい様相に思います。

そのうちこんな緊迫した空気ではなくなるのだろうけれども、ずいぶんとそれは遠いことのように思ってしまいます。

2020年11月13日金曜日

沢山の事を考えていると『スピってる人』みたいに見えるのがちょっと困ってる

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今日は11月13日、年末まであと48日、一年が本当にあっという間だった。2020年は変な年だったなー。

1981年に沖縄で新種の鳥が発見されヤンバルクイナと命名される。1991年に宮沢りえの『Santa Fe』が発売。1997年に北陸自動車道が全線開通。2009年オバマ大統領が日本を初訪問、鳩山首相と日米首脳会談をする。

1951年伊勢正三さん、1972年木村拓哉さん、1982年 倖田來未さんらの誕生日であるそう。

うるしの日であり、茨城県民の日でもあるそうだ。


石川博品先生の『ボクは再生数、ボクは死』を少し前に読んで、やはりこの先生の作品はボクは好きなのだなと改めて思った。

今回も石川節のヴァイオレンスが飛び散っているが、その前の『海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと』に比べると、随分と読みやすいと思った。

今回の作品は、新しくはないが多分未来というのは一部ではこうなっているのかもしれないなぁと考えさせられた。

ゴリゴリのSFではあるんだけれども、どちらかというと世界観を共有することを前提とした作品なのではないかと思った。

しかし、どう考えても共感を呼び込むようなポップさはなく、初っ端から『エ”ッロ”』と抱かせる描写が延々と続く。

本当にこれは一般向けの書籍なのだろうか?困惑はしたが、石川先生のラノベは最初からきっとそういう側面があったなと思い出し、平常心を保った。


最初の1行にこうかかれている。

『世界一の美少女になるため、俺は紙おむつを穿く』

たったこれだけで、なるほどこれはVRのモチーフの物語なのだな、ということがわかる。

こんなにも豊富に具体的に関連のないものを想起させる書き方は他の作家先生ではできないと思う。石川先生は天才なのだろう。

商業的にうまくいくかどうか何というものはアーティストの才能そのものを評価することはとても難しいだろう。


物語の筋としては、美少女アバターを使って世界一の美少女になる主人公の薄給のサラリーマン(男性)がVR風俗にハマってお気に入りの上が高級なところに移籍してしまったからその風俗代を作るために投げ銭を受け取るためにコンテンツを生成する、という話だと思っているが、これは物語の性質上どこを汲み取るかで随分と話は変わってくる。

ボクは一日本などを紹介するときに極端に下手くそなプレゼンをするのだが、どうも根っからのオタクらしく、好きすぎるものとの距離感がバグるために、しょうがないことだ。

面白い話なのでぜひ手にとっていただきたい。(読書感想文をかけるかどうかはわからない、現代の最新鋭の奇書としてあげてもいいのかもしれない)


描かれているものをもう少し大雑把に読み解くと、結局人間なんだよね。テヘペロ。という感じであると思った。

VRだろうが、どんなに最新のテクノロジーを使おうが最終的には人がいるから世界は成立しているのだ、みたいな。

ただやっぱりSFだなと思うのは、人というのは一体何を持ってして人となりえるのか?という課題を投げかけてくれているところではないだろうか。

表のブログで書いておけよ、と思うかもしれないけれども、まぁ。


意地で色んなものを所有し続けることは凄くエネルギーが要るのだけれども、いつかそうしていることが是となる日が来ることを夢見て今日も薄い財布を握りしめて1リットルの紙パックのジャスミン茶に長いストローを刺してグビグビ飲んでいる。

2020年11月5日木曜日

世の中に善と悪なんか無いが、システムとしてはシンプルで楽なんだとおもう

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今日は11月6日、年末まであと55日。5で割れる数字は好き。

1987年に竹下登内閣が発足して、1994年にナリタブライアンが3冠馬(日本市場5頭目)となった日とある。他にももちろん沢山の出来事がある。

アパートの日でありお見合い記念日らしい。


世の中は大変なふしぎで動いている。

例えばこうやって文章を書いている時間にボクはご飯を食べることもできるし、散歩をすることもできるわけで、しかしそうしなかったことでお店に空席が一つできて街を歩いている人間がひとり減る。こうやって書かれているテキストを読む人間は20人ぐらいしかいないのに、いや20人もいてくれるのか。これを読む時間でできることをしていないことになり、その使われない時間で他の人が席を埋め、街を歩く。そうやって世の中というのは非常に調和している。

何もしていなければイベントは起こらないし、何もイベントが起こっていないからなにかイベントを起こそうとする。

行動と停滞が一定の比率で動き続けているので、全てが相関している。


気は進まないのだけれども、世の中について目を向けてみる。

安倍首相が桜を見る会で大バッシングを受けていたけれども、それははそれまでは桜を見る会はそんなに清純なものだったのだろうか?

本当に参加をしている人間は全てまともで真面目な人ばかりだったのだろうか?それではそれを指摘した一は後ろ暗いことは一つもないのだろうか?疑惑は疑惑であって、それを明らかにすることにより今の調和が乱れるようなことについていいとも悪いとも思わないが時間は使うとおもう。

テレビについて特別感を持っているお茶の間の人たちが、まれにテレビに取り上げられると必要以上に喜んだりする。テレビは特別であり楽しく正しいという勘定がある。本当に正しいのだろうか?それは本当に面白いものだろうか?幸福だろうか?

芸能人は人気者であり、目に見えない人たちから支持をされていて、人柄だったり言動だった理容師だったり、様々なものに魅力を感じている。関心というものだ。もしくは見ると嫌悪感を催す芸人がいて、その彼らの一つ一つの言動で気分を害す、しかし人気者が諌めたらそれを見て会館におもう。

そういう彼らが自分たちの知っているイベントに遭遇するとショックを受ける。結婚したり、訃報を聞くとびっくりするようなことだ。自分たちも通った(る)イベントだからだ。


しかしよく考えてみてほしい。

自分たちが生きている世の中というのは基本的に自分たちと同じ人類しか働きもしないしものを作ることはない。

テレビに出ている人間も服を買いに行くし、核実験も地球上で行われている。

服は百貨店だったり路面店だったりショッピングセンターだったり通販だったり色々あるだろうが、とにかくみんなと同じところで手にとってこれはいいねと言ってお会計をしている。

荷物を持って電車に乗って家に帰って、ご飯を食べてお風呂に入って、疲れたなぁと思いながら眠りにつく。

自分たちは人間のみによって意思決定され、存在を許されている。

善意も悪意もそういうふうに対立構造を作ることがすでに調和という言葉を作るのに便利な言葉であって、2値化することでコントロールを容易にしている。


世の中はそんなにかんたんなものなのだろうか?と思ったりする。

そう、世の中には解き明かされることのない謎が多く残されており、それは、人類では到底解けないような問題であるのだとおもう。

しかし解けないことは悪いことではなくなぜなら解けなくとも代案を用意することができるし、それを実行しなくとも何らかのアクションが行われるからだ。

根本的な解決を望むと大変混乱するが、その場しのぎの解消であれば自分たちは特になんの不思議もなく日常的に行っている。

それはいいとか悪いとかっていうことではなく、許したり許されたりするということだけなのだとおもう。

全ては連続した現象でしか無いということなのではないだろうか。


早くiPhone12入荷されないかな。

僕の夢

夢なんてないと思っていた。 今日は4月16日で年末まであと259日。 生きているとたくさんのことがあるので、別に一つ一つを手にとってふむふむと鑑賞するkとおはあまりしてこなかった。 どこかの記事でも書いたけれども、多分僕は間が悪いし、言葉遣いも下手くそ。 間が悪い一例を上げると、...