夢なんてないと思っていた。
今日は4月16日で年末まであと259日。
生きているとたくさんのことがあるので、別に一つ一つを手にとってふむふむと鑑賞するkとおはあまりしてこなかった。
どこかの記事でも書いたけれども、多分僕は間が悪いし、言葉遣いも下手くそ。
間が悪い一例を上げると、『宅配便を待っていたが便意を催してトイレに座るとインターホンが鳴る』とか『連絡を待っていたがこなかったのでラーメン屋に入ったが着丼と同時に連絡が来る』とかまぁ、そういう魔の悪さというか、でもどうしたら良かったのよ、というのがいっぱいある。
人間関係もだいたいそんな感じ。
当たり前だけど世の中は人間だけが作っている。
だから意識の力で何かをしようとしても、それはかんたんではなく、ダメなものはダメという感じ。
美容師さんと話をしてて『優しい人がいいですよね』ということで合意が取れたが、果たして優しい人とはなんだろうか。
僕は人からやさしいよね、と言われることもあるけれども、それは違うと思う。
どっちかって言うと昔『君の優しはさ残酷だよ』と言われたことのほうが正しいなと思う。
僕は別に優しいわけではないし、いい人でありたいわけではない。いい人だし優しい人である可能性は捨てたくないけれども。
印象悪く言えば荒波を建てるとか揉め語をの種を作ることをしたくないだけ。事なかれ主義なんだと思う。
だけど、僕が自分で作るペラッペラの平和はすぐに誰かが見破って、僕の弱いところをついてくる。
そのように取ることもできるが本質的なところはそうではない。そうはいってるが、そのように取らせてしまうように表現する自分が、単純に薄っぺらなんだとも思う。
僕が理想と思う優しい人って、結局、よくわかんない。
でも多分、許してくれる人だと思う。
僕は愚かだし、僕のやることは幼稚かもしれない。
だとしても、僕を信じてくれる人に対して報いたいと一生懸命であることは嘘ではない。
くだらない主張をたくさん持っているけれども、100個の内の一つや2つは的を得た提案であってほしいと思っている。
そんな針に糸を通すような確率かもしれないけれども、人の役に立とうとしていることを、馬鹿な自分を含めて認めてくれる人はきっと僕から見れば優しい人なんだろう。
そんな人はきっとたくさんいてくれるから、世の中はすごく僕にとって居心地が悪いわけではない。
でも僕がほしいのは僕が好きな人で、僕が好きな人はなんだか知らないけれどもすごく細かくてすごく偏執なことが多い。これは悪く言ってることだけど、とにかくいいように言えば芯があって、凛としててかっこいい。
僕はそんな人を見るとときめくし、自分と一緒にいてほしいと思う。
でもそれはそもそも矛盾で、僕はふにゃふにゃだから、そういう人からの言及に耐えられない。
だから時間がかかると思う。
ずっと僕はそういうことをすることを諦めていたし、投げてきた。
でももうだんだん頼れる人もいなくなってきているし、このままであればジリ貧でホームレスだ。
野垂れ死ぬのも、悪くないのかもしれないが、やっぱり風呂には入りたいし、そう思うと、そういう凛とした人の隣に入れる自分になりたいなっていう気持ちはある。
そんなふうに思ってはいけないのだろうか。
僕を好きな人と、僕が好きな人と、僕が楽な人と、僕を楽な人違う。
千差万別なんだと思う。
それだけ。
幸せになりたいだけ。
夢はあった。
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