2021年3月11日木曜日

さくら

 今日は3月12日で年末まであと294日。





1876年に官公庁で日曜日を休日、土曜日を半休とする大政官布告、1912年現在のJTBが創立、1918年ロアシアがモスクワに遷都、1936年に中谷宇吉郎が雪の結晶の作製に成功、1968年モーリシャスがイギリスから独立、1972年にモスバーガー実験1号店が開業、1996年お台場に現ヒルトンお台場が開業、2007年京都府木津川市が市制施行。

お水取り、財布の日、モスの日、スイーツの日であるらしい。


よつばとの最新巻を手にとった。紙でしか買えないけれども、たしかに紙のほうがいいような気もする。

よつばとスタンプを今でも愛用している。

LINEやメールなどがどうにも苦手である。冗長になる。さっくりとした簡潔な言葉を使える人がすごきなと思う。


plastcTreeをいまだによく聞いている。

X Japanを聞き直してすごいなぁ、と思うとともに現代とは随分と音が違うなぁ、と思ったりする。

Syrup16gをきいていいよねってなったりする。


最近少し体調が悪い。熱があるとかではないと思うのだけれども、なんとか週明けまで持ってもらわないと困るなと思っている。

この週末は忙しくしないようにしたいなと思いつつ、まだもう少しやるべきことがあるのでそれをしてから、じっくりと休むのだ、となっている。


人生にはいろいろなことがある。

過去を否定することはできない。だから僕は反省や後悔をしないように生きてきたつもりだった。

ひとつでも過去の過ちを認めてしまったら、恥ずかしさや後ろめたさで二度と立ち上がれない気がしたからだ。

後悔したらいいし後悔しないように反省もスべきだと思う。健全だ。

無限に辛さだけを感じることになるのではないだろうかとか、そんなくだらないことばかりが頭をよぎっていて、とても怖かった。

多動であることが自分の生き方だと思っていた。

先日上野公園をじっくりと散歩して、無心で歩き続けた。

まだ殆どの桜は咲いていなかった。

もうあと1週間とか2週間もすれば満開になり散ってゆく桜。その季節をまた一人で過ごすことになるのだ。

まだ寄り道をするだろう。死ぬまでもうずっと本線に合流できないかもしれない。



最近は随分とふさぎ込んで人間不信であったと思う。

少なくとも昔ほどピュアに人を頭から丸呑みするような信用をするということができなくなってしまった気がする。

どちらがいいということではない。

生きていると辛いことがたくさんあって、残される側というのは本当に辛いことばかりだと思う。

たまにいいことが起こるけど、記憶からいいことは抜けてしまう。

悪い記憶ばかりが残る。

卑屈になったりするのはきっとそのせいなんだろう。


すぐにおとなになることはできない。

おとなになるために今できることを一つずつ積み上げていくことしか出ない。

本当の最後に悔いがないようにするために。


毎年代々木公園のお花見に適当に参加するのが好きだったけど、今年はないだろうな・・・。


2021年3月5日金曜日

たくさんのバイトをしてきたので供養

 このブログは金曜日に更新される予定です。





今日は2021年3月5日で年末まであと301日ある。

1881年にハワイ国王カラカウアが日本国外の国家元首として史上初めて来日、1931年東京航空輸送が日本初のスチュワーデスを採用、1963年に日本SF作家クラブが発足、1979年アメリカの無人惑星探査機ヴォイジャー1号が木星に最接近、1986年青函トンネルの最後のレールが締結され本州と北海道がレールでつながる、2011年東北新幹線でE5系を使用する「はやぶさ」が運行開始、など。

啓蟄、サンゴの日であり、ミスコンテストの日であり、スチュワーデスの日であり、巫女の日であるそうだ。


つい先日随分と古い友人と話をしていたら、彼は今の職業以外の食についたことがないという。

バイトもしていないということで、すごいことだな、と思った。

僕はといえば、職場を転々としながら割と周りからは自由に生きているように見られるが、たしかにそれなりに自由である。自由なのと気が楽なのは違う。バイトもそういえばたくさんやっていたなと思い、よくよく考えると本当にいろいろなことをやらせていただいたなと思った。

最初のバイトは年賀状配達で、次にスーパーの品出し、建具屋の工場勤務、ライブスタッフ、イベントの現場バラシ、NHKの番組収録の黒子、うなぎ屋のホール、居酒屋の短期バイト、電気屋の販売応援、研究室の教授のお茶くみ、WEBデザイナー、広告映像制作、ポスター制作、エロゲ店頭MV制作、TA、ウェディング、サラリーマン時代はプログラマー、SE、デザイナー、演出デザイナー、PM、制作進行、WEBディレクター、Flash使う人、動画制作、機材搬入搬出、アートディレクター、エフェクトデザイナー、既存システム調査、ニート、社長、ひ孫受けSE、画面の人、イベント制作、印刷屋、中国音楽配信、などをしてきた。

こうやって考えると、随分といろんなことに手を出しては引っ込めてきたのだなと思う。


バイトぐらいで入るとどれも結構楽しいのだけれども、辛かったなと思うのはウェディングの現場だった。その現場が特殊だったのかもしれないけれども、とにかくきつかった。面白かったけど。同時にウェディングの現場で色々教えてくれた女性社員の方は本当に今でも尊敬している。

朝10時前に現場に集合なのだけれども、行くとすでにいらっしゃって、終わりが22時ぐらいだったと記憶しているのだけれども、教えてくださった方はまだまだ残業していらっしゃるようだった。結局2日か3日の短期バイトだったのだけれども、僕はへとへとになってしまったのだけれども、それを毎日やるのかーと思うと本当に凄まじい人たちだな、と思った。

職場も、基本的に盛り上げなきゃいけないし、清潔でなければならない、キラキラしていなければならないので後ろ向きな人間がいなかった。

凄まじい職場があるもだなぁ、と終わったあとの僕は思ったものだった。


フリーランスのデザイナーの真似事を始めたのが18歳の頃で、当時確か鰻屋でバイトをしていたのだけれども、どこかの大学のウェブサイトの更新を担当させていただいて、その時間の取られ方と、ちょうど自動車学校に行くことになって、鰻屋はオープニングスタッフだったのだけれども、やめねばならなかった。専門学校終わりの週6での出勤と自動車学校及びウェブデザインを並行する能力は僕にはなかった。

ライブスタッフや、イベントのお現場バラシなどは面白くて、行くと必ずカシラみたいな人がいて、その人の言うことを全部聞くということをすることになる。指示命令系統がかなりしっかりとしていて、特に組み立てるときは時間がとにかくかかるのだけど、バラシのときは怪我がないようにだけ気をつけてとにかく迅速にバラす。ばらして片付けるだけなので、迅速に終わらせるためにとにかくみんな際が良かった。ある現場では、ライブの設営から入って、モギリをしてガードマンをして、客を出した跡に撤収をするので、作業着とスーツをはや着替えする必要があったりした。なかなかに面白い。


居酒屋の短期バイトも面白かった。スポットで入っている自分は基本的にバッシング及び品物を出すことしかしないので、注文を取る機械を持たされていなかった。しかしお客さんはそんなことなく、僕を呼び止めるので、そのたびにハンディを持っている人を呼び行く必要があり、それでも何度も同じお客さんに呼ばれるもので、なんだろうな?と思っていたら『新人さん?注文取れないのわかってるけど、ビール一つ入れといて』とか軽く言われた記憶があると思う。結局口頭で別の人に10卓さんビール、とかをハンディで打ってもらう。

キッチンなどではえらいことになっていて、バッシングされたジョッキが山のように積まれていて、時間を見つけては、食洗機にぶっこんで、止まったらそれを棚に上げるということをしていた。とにかくそのジョッキが熱かったのを覚えている。ビールサーバーの前に熟練っぽいバイトの人が立ってて、複数個のジョッキを同時に持ってビール汲むマシンとかしていたような気がする。

とにかく忙しい居酒屋の裏側は人間で回っていた。走らずできるだけ平静を装って、速歩きでバッシング及び配膳をした覚えがある。あと、普段出さないようなでかい声を出すのも面白かった気がする。


サラリーマンになってから随分と時間に余裕が出てしまって、暇でいけなかった。

なんにも考えられないぐらいのヒリヒリとした瞬間はずっとバイトのほうがたくさんあった。

サラリーマンはひまなのだなぁ、とピストン西沢のラジオを聞きながらぼんやりと思っていたと思う。


今は一人会社だけど、本当にしびれる。

こんなに金も時間もないことってあるんだーって思って、すごい。あと自分が年だって言うこともあってか仕事がなかなか回してもらえないのがちょこっと悔しい。

お金のためだけに働くことはしたくないけれどもお金のためにはたからないとだめだなって思ったりしている。


結果的に面白いことできたなら僕は満足ですよ。

僕の夢

夢なんてないと思っていた。 今日は4月16日で年末まであと259日。 生きているとたくさんのことがあるので、別に一つ一つを手にとってふむふむと鑑賞するkとおはあまりしてこなかった。 どこかの記事でも書いたけれども、多分僕は間が悪いし、言葉遣いも下手くそ。 間が悪い一例を上げると、...