2020年9月22日火曜日

忘却、秋、いいわけ

 このブログは金曜日に更新される予定でした。





9/18には間違いなくPCの前にいたとおもうのだけれども、4連休を前にあまりにも疲れすぎていたことで多分ブログのことについて頭になったのだとおもう。

びっくりするほど忘れていて、気がついたのが日曜日で、土曜日曜月曜日と、頭がしびれるほど眠っていて、今日になってようやく午前チュの時間に起きることができた。

連休最終日ではあるものの、連休っぽいことをしたかな?と思ったら結構していました。

スタードライバーを半分見たり、うーさーを一気観したり、フルーツバスケット2ndについて、追いつけるところまで追いついたり。

そこに対して読書は全く進まず。


母親から電話がかかってきて何かな?と思ったら、従兄弟の子が結婚するということらしかった。

来年の5月か10月か、そのぐらいを目処に。

めでたいことだ。

弟たちについても聞いたのだけれども、みんなそれなりに日常をやっているようだった。

一部若干不穏なこともあるが、まぁ、全てがポジティブであるわけではない。

どこかで帳尻を合わせてゆくのだろう。


9月の終わりということについて、あまり毎年記憶がない。

いつだったかシルバーウィークができたあたりもそうだけれども、基本的に夏のおわりと秋の始まりが交差していて、緩やかに今日は秋だねぇ、ということはなく、気がつけば誕生日で、誕生日は僕の中ではすでに冬に近いので、毎年冬を感じて年をこす。

9月に秋を感じるのは、冷房を使わなくても大丈夫なったときや、空がとても高いとき。

それから梨を食べたり。

秋の味覚の中で最も身近なものがなしかもしれない。


古い写真を見返していると、なんだかそうか、こんな事があったなぁ、という気持ちになるが、なんでこれを撮ったのだろう?とおもうものもある。

一つ一つがライフログになって今の自分になっているのだな、と思ったときに、僕の人生はこれからどれだけ回るのだろうか?

そして今まで一体どれだけの人生を回りながら歩いてきたのだろう、とおもうことがある。

何故か人は仲の良かった時期があったとおもうと、その人はもう存在していない、というようなほどに遠くなってしまったりする。

みんなもそうかも知れないが、たくさんの僕だけではないっ時間を共有した人たちの出会いがあり、別れがあった。

すべての出逢いでちょっとした事件があり、ゆっくりと離れていき、そして無いしに来忘れていく。


もちろん自分から拒絶することもあったが、明確に離れようと思って離れるよりも、なんとなく距離が遠くなって消滅したように感じることがほとんどだ。

寂しさもあるが、こんなものではないか、とおもうこともある。


僕の人生は決して一人ではなく、多くの人たちが僕を作ってくれているのだと、自我とは誰かのコピーを重ね合わせたハリボテだと小学校のときは考えていた。

人生半ばでおもうことは、確かに僕自身はそれなりにタフにやってきているとおもうが、やはり周りのみんなの力がなければ今ここに立っていることはなかったとおもう。

僕からはフェードアウトしていくように感じている周囲のかたがただけど、実際にはそうではなく、何かあったら僕に力を貸してくれて励ましてくれる、すごいことなのだ。

僕は成功はしていないが、随分と恵まれている、幸運なのだと確信している。


誰もが苦しい今を生きているとはおもうのだけれども、僕たちがやることはこれからの日本や世界について、いやそんなでかくなくてよく自分の周りの人たちだけでも、もっと笑って生きていられるような社会を作ることなんじゃないかと考えている。

そのための力や仲間はきっと見つけられるし、そして工夫をして実現させていく。


今週の金曜日はちゃんとブログを更新したい。

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