今日は2021年2月26日で、年末まであと308日です。
1955年に大阪でサンケイスポーツが創刊、1980年エジプトとイスラエルが国交を樹立、1999年にJR西日本の大阪近郊でJスルーカードの使用開始、2005年にJAXAがひまわり6号打ち上げ、2011年ニンテンドー3DSが発売とある。
2・26事件の日、脱出の日、血液銀行開業記念日、包むの日であるとされている。(である
wikipediaで知識を得ています。
誕生花が書かれている人いない日は何か違いがあるのだろうか?
ツイッターでメモを書くかーと思ったことが、割と誰のためにもナラないようなことだったので、どこに書こう?と思っていたんですが、ここは誰も見てないので書くのに丁度いいなと思いました。
UIの話です。
メモと言うか自分の思考プロセスについて自分で展開することがなかったので、一貫して主張したいことはここにはありません。
UIの仕事について随分長くやっているわけですが、何かでまとめて勉強したことはないです。
始めた当初から一貫していっているのは『画面を作るのは誰でもできる』ということだけです。
そのうえで画面を作る上で、いつも気になるのは経路です。
経路には演出があり、入り口と出口の間に体験があります。本来その体験と呼ばれているものは結果にひも付きがちですが、結果は結果なので、結論です。
問題があれば回答があります。
脳トレとかのパズルに近いかもしれません。
それが良ければよいほど体験がいいろ言う感じでしょうか。(あくまで一つの側面として
そうなると、インタラクションの問題になりそうです。
しかしインタラクションはただの連続した結果までの演出に過ぎないわけなので、『そのような結果に至るまではどのようにして待機をしたいか』ということが大きくあると思います。
そうなるとどうなるかというと、(あまりやったことはないですが)パチンコみたいに、結果がどうなるのかわからないハラハラした状態がずっとほしいということでリッチな演出がついているわけです。
なので昨日としては正しく演出をやっているということです。
結果として外れだったとかあたりだったとかっていうのは本当に結果で、あのリーチの瞬間を見たいという人が多いのかな?とか思ったりします。(パチンコやんないので本当かどうかはわかりません
ソーシャルゲームなんかもあたり確定演出なんかが来ると嬉しいのできっと同じような仕組みかと思います。
画面からずれてんじゃないの?と思われると思うんですが、これはひとつなぎのおはなしなのです。
良い画面を作りたいとクライアントになってくれる人の多くが言いますが、良い画面というものは唯一ではないので、提供することはとても難しいです。
なぜ唯一でないかというと、画面は見る人によって見方が変わり、その人だけが見える可能性を排除できないからです。
この文章も僕が読み返せば、何だよくわかんないことわざわざ記事にしてるな、と思うでしょうし、画面について考えたこともない人にとっては全く分けのわからないことを書いていると思いますし、画面がわかっている人からすれば何だつまんないこと書いているなってなるでしょう。そういうものです。
唯一必ず良いとされる方法なんてないということだけです。
そのうえで、画面には何が表示されているのか。
主には目に見えるものと、聞こえるものと、入力できるものです。
それらを駆使して、誰かに伝わるようにメッセージを作ります。
まず見えるものですが、テキストがわかりやすいときもあれば、イラストがいい時があったり、動画が良い時があったりします。
聞こえるものも色んなパターンがあります。SEとBGMと人間のしゃべるものは使い所がそれぞれ泣きはしますが、それをどこでどう使い分けているのだろう?って思ったりしませんか。
入力についてですが、入力するとは何でしょうか。
入リ力とはその画面にないものを追記することです。
なかったものをあるものに変化させることなので、何者かの意思が加わります。
コンピューターならこうするというものもコンピューターのアルゴリズムの解釈によればこう、という感じでとにかくなかったものがあるものに変化します。
またUIについて考える前に知っておくべきこととして、UIコンポーネントの役割についてです。
現代のGUIで、発明されていないコンポーネントはほぼないと言ってもいいと思います。
昔は今よりももっと多くのコンポーネントがあるとされていて、どんなフレームワークを使っても多すぎるコンポーネントがありました。それらが消えていったのはなぜか?大抵は代用があることと、実装が複雑すぎることです。
実装が複雑すぎるものはデータの構造も難しくなりますし、その難しいデータは誰か作るのか、といえばシステムに詳しいオペレーターの場合もあれば、全くそうでないバイトの子だってあり得るわけです。
誰でも使えるものが良いとされていますが、これはプレイステーションの○と☓問題みたいなもので、世界観が違うと180度意味が変わることもあるわけです。
誰でも使えるというのは、(システムを知っている人なら)誰でも使える、みたいな注釈が必要になると考えています。
しかし世の人はそうは思ってくれないわけで、誰でも使える素晴らしいシステム、の提供を望んでいます。
これはひどく乖離があると言えます。
結構僕はここについて数多を抱えていて、ベストプラクティスについて悩んでいた時代もありましたが、最近はできることだけをやる、というふうに趣向を変えたので結構楽になりました。
それでもプレゼン向けなどの資料でどうしても昨日てんこ盛り夢てんこ盛りなものがほしいと言われれば、それは作ります。
しかし結局どんなに美しいものを準備したところで、多機能なものを準備したところでユーザーはついてこれないです。
なにかのデータがあるわけではないですが、人々が触る場所というのは非常に限られていて、結局毎日使うようなものについては、ゲーム以外ではそんな美しさだとか、気持ちよさだとかは麻痺するので必要がなく、応答性やそこにあってほしいものがある、という日常を阻害しないシステムがほしいと思っているはずです。
電子書籍なんかはまさにそうだと思っていて、ペラペラページを捲る演出など最近ないと思うんですけど、それは必要ないからです。
結局残るのは必要なるものだけで、必要のあったものはいくつかのGUIコンポーネントだけだったということです。
スクロールバーを再発明する必要はなかったのです。
そうです、一つだけ書いておかねばならないことがありました。
GUIで、そのシステムだけが持つ特徴みたいなものがほしい、とよく言われますがそんなものはないほうがいいです。
発明しないほうがいいです。
まれにすごいなーこれ、というものがありますが、それはまれなので真似をしよとしてできるものではないと考えています。
わけのわからない発明によって、ユーザーの体験が削がれるので、変なコンポーネントつけるぐらいなら再読込させない工夫をしたり、画面遷移の際のストレスを極限まで落とす努力をしたほうがいいです。
なぜなら、待ち時間が一番無意味で離脱するからです。
なんかバーっと書きましたが、誰も読んでないのでいいでしょう。
またそのうち。